旋回(仮)

人間の脳は愚かなもので、五感でその存在を感じた世界をそのままの情報量で残しておくことができない。私もそこに属するものだから、情報量を日々落としてそれを記憶としている。

情報量を落とすと、文章と適当な五感の断片的情報でしか過去を保持できなくなってしまう。その結果、できあいの文章を固有名詞を少し変える程度のわずかなカスタマイズをして、それを「自分の記憶」としておく。私はドラマを見て、映画を見て、小説を読んで、その登場人物の目線から世界を捉えた気になり、その人物と自分の境目を失い、それを過去の自分として混同してしまう。仕方のないことである。逆にいうと、ストーリーを扱う創作物は、脳内で足りない情報量を補完されてはじめて、相手の世界の一部となる。その意味で、多次元空間をより「復元しやすい」低次元空間に落とし込めているのが良い芸術であり、その軸の取り方こそがセンスになる。

 

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影がハッキリと見える日だった。20分に1回くらい雲が出てきて冷えたが、それ以外の19分30秒は日が差しているような日だった。薄い影法師がゆらめきあう余白すら与えないほどの圧倒的な光源の中で、私は寒さと戦っていた。海辺の街によくある海風と、頑固に冷たい地面からの煽りを受けて、身体の末端が悲鳴を上げていた。黒いハイネックのセーターを着ていたので、太陽が出ている時は背中がぽかぽかとしている。ただ、影に入ってしまいそこから抜けることのできない足先は、背中からエネルギーを奪うだけ奪ってみすみすと地面にのがしている。

少し車を運転したかったから、前日から予約して朝から車を借りた。よくある普通の車(たしかトヨタのアクア)で、中も綺麗だった。ハイブリッド車に独特のエンジン音と静かな発進音のあと、女性の機械音声が鳴り響いた。独特の静寂の中で、2,3分おきに機械的な音声が聞こえる。彼女は、その道が道なりにどれくらい続いていて、あとどれくらいで曲がり角なのかを伝える。ブレーキのかかり具合に気を回しながら、無心で車を運転した。最初は行けるところまでいってやろうと思っていたのに、1時間も下道をのんびり走っていたら、アクセルとブレーキをただゆっくりと押したり引いたりするのに飽きてしまった。そのまま車を1時間ちょっと走らせて、たまたまあった公園に停車した。最初の目的に目を(意識的に)瞑り、その偶然性に感動を装った。たぶんこの積み重ねで人生が出来て、私はそこに意味を見出す。

家から持ってきたレジャーシートを広げた。

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鳥。笑う男。子供、学校の声。申し訳なさ程度のアート。